【ネタバレ有】ウォーキングデッド、シーズン6「悪魔の口笛」に大きなショックを受けた原因を考える

注意!この記事にはシーズン6までのネタバレがあります。

ウォーキングデッドシーズン6を昨日見終わりました。
ツイッターは阿鼻叫喚の嵐。
シーズン終わりに、大変なショックを受けた人が多いようです。

私もショックを受けた一人。
数十年ぶりに、お子様のごとく悪夢を見て跳び起きました(笑

さて、シーズン6最終話に何故これほどのショックを受けたのか、考えてみたいと思います。

何にショックを受けたかといえば「悪魔の口笛」を見た方なら言わずもがな。
ニーガンの最後のシーンですね。

ただ誰かが死んだだけでは、ここまでのダメージを受けなかったはずです。
ウォーキングデッドを見てる人は、お気に入りのキャラが死んでしまう事にある程度の覚悟があるはずですから…。

何故「悪魔の口笛」で私は精神的ダメージを受けたのか

  1. バットが誰に振り下ろされるかの待機時間が長い
  2. 殴られたキャラクターは、確実に致命傷を負った描写がある
  3. 振り下ろされたシーンが一人称視点で、自分が殴られているような気分になる
  4. 来シーズンまで6か月も「誰が殴られたのか」考えながら過ごさなければならない

バットが誰に振り下ろされるかの待機時間が長い

ニーガンが誰にバットを振り下ろすか決めるまでの時間が10分以上はあったと記憶しています。
その間、私はたまらなくて「これいつまで続くのっ?!」って声に出して言いました。
それくらい苦痛なシーンで、それが数分で終わらず長かった。

それについて、こんな興味深い記事がありました
「痛いかも」の方が「痛い」よりストレスが大きい|WIRED.jp

痛み(電気ショック)が与えられるかもしれないという不確実な状態は、これから電気ショックが確実に与えられると確実にわかっている場合よりも大きなストレスを引き起こすという研究結果が発表された。

「バットを振り下ろされるかもしれない」シーンの方が「バットを振り下ろされる」シーンよりもストレスが高い、という事になるのではないでしょうか。

そんなストレスマックスの見てられないシーンが長く続いたのです。

殴られたキャラクターは、確実に致命傷を負った描写がある

ニーガンが3回ほどバットを振り下ろした描写がありました。
おそらく、殴られたキャラクターは死んだでしょう。
「もしかして生きているかもしれない」という希望が絶たれたことになります。

振り下ろされたシーンが一人称視点で、自分が殴られているような気分になる

ニーガンが「どれにしようかな♪神様のいうとおり♪」という時に各キャラクターの顔が映し出され
決定された時に、そのキャラクターの視点に移ります。
一人称視点になったわけです。

一人称視点は、そのキャラクターに感情的に入り込みやすく、「まるで自分がバットを振り下ろされたかのような」精神的苦痛を味わう事になってしまいました。

来シーズンまで6か月も「誰が殴られたのか」考えながら過ごさなければならない

最後に、一緒に見ていたウォーキング・デッ友達が言いました
「これがシーズンを跨ぐ話でなければ、まだ良かったのに…」と

そう次シーズンまで、6か月も待たねばなりません。
それまで「誰がバットを振り下ろされたのか」という苦痛が続くわけです。

これは、シーズン最後の引きの演出として、したのでしょうが少し「やりすぎ」と思いました。

あまりにも精神的なダメージが大きすぎて、視聴を止める人もいるかもしれません。
シーズン7も続けて見させる演出にしては、ちと逆効果な気がします。

まとめ

私がシーズン6「悪魔の口笛」を悪夢に見るほどショックを受けたのは、これらの複合的な原因のようです。

しかし、かつてこれまで心を揺さぶられるドラマはありませんでした。
いやーな気持ちのまま6か月を過ごさねばならないのですが、ウォーキングデッド・シーズン7も私は確実に見るんでしょうね!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です